総務部
安井香織
YASUI KAORI
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趣味
温泉に入る、読書、おしゃべりすること
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特技
テキトー料理、夜更かし
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好きなもの
とろっとした温泉、川のある場所、食べること
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苦手なもの
大きな音、高い場所、回転する乗り物(目がまわる・・)
PROFILE
◆ 男子には負けたくない ◆
1970年に生まれ、
2歳下の弟と名古屋市熱田区で育つ。
名古屋の中心に近い金山駅のすぐ近くでありながら、
10軒ほどが連なる賃貸の狭い長屋で、
隣近所とも密接に付き合いながら暮らしていました。
近所にあった父の実家には、
毎週のように父の5人兄弟妹と、
その子どもの男9人、女3人のいとこ12人が集まり、
近所を走り回って遊んでいました。
遊びといえば「虫取り」「木登り」「ドッジボール」などで
『男子には負けたくない!』
と強く思っていた私。
とにかく後先考えずに家を飛び出し、
誰よりも多く虫をつかまえ、
誰よりも高く木に登り、
夏は真っ黒になり、
冬は雪玉を投げ、降ってくる雪を食べる女子でした。
◆ 心理学 ◆
けれども強く逞しく生きていたのも小学生まで。
中学からは男子に体力的に勝てるわけもなく、
かといって女子らしくすることもできず、
人生を迷いながら生きていた感じがします。
そんな日々の悩みや迷いからか、
大学の進学先に選んだのが、
『心理学部』
ただ、まだ世の中ではあまり認知されておらず、
『心理学って心が読めるの?』
と何度いわれたことか。
カウンセラーになれたらいいなと思っていましたが、
入学当初の学ぶ意欲はどこへやら、
学業以上にアルバイトに励む生活を送ってしまいました。
◆ 営業職を目指すも ◆
さぼっていた結果の学業成績と、
男女雇用機会均等法もまだまだ身のない時代で、
四年制大学出の女子の就職先は限定的。
さらにバブル崩壊の一年後の1993年が就職活動期。
営業職を希望していたものの、
狭き門のため採用には至らずで、
仕方なく一般事務職に就きました。
就職してから数年後に今の夫と出会い、
結婚の話が持ち上がった頃に、
勤務先の上司から、
『社内で女性初の営業職についてほしい』
との打診がありました。
当時26歳、結婚したら退職するのが当たり前の時代。
かなり後ろ髪を惹かれる思いでしたが、
当時、関西の大手ゼネコンに勤務していた、
夫の住む大阪へ行くことを決心して退職。
けれども、結婚話が進む中で、
『ゼネコンを退職して親の会社を継ぐことにした』
と、突然の夫からの通達。
『会社を継いだら、会社の事務も手伝ってほしい』
とも言われ、
『私は一生事務職なんだなぁ』
そう思ったことを覚えています。
◆ 子育て中心の生活 ◆
結婚と同時に仕事を始める予定でしたが、
すぐに第一子を授かったため、
ひとまず猶予期間。
ですが、毎年のように妊娠と出産を繰り返し、
7年で5人の家族が増えることに。
その間に仕事もしましたが、
妊娠中のためにお手伝い程度で、
子育て中心の生活をしていました。
当時住んでいたのは4階建ての4階で、
階段しかない建物。
保育園に毎日送迎していましたが、
常に妊娠中の身体か、
小さな子を抱えた状態。
そこに大荷物となれば、
途中で休みながら必死で昇り降りする日々。
買い物に行けば、
帰り道で抱っこできない子どもに泣き叫ばれる。
毎日が体力の限界でした。
◆ 家を建てる ◆
そんな中で夫が突然、
『家を建てる!』
と言い出しました。
当時の安井建設は、
家づくりを始めて数年。
夫の入社時には地元のゼネコンとして、
公共の建物などRC(鉄筋コンクリート)造や、
大きな建物が中心でした。
夫には、
『安くていい家を建てたい』
との想いがあり、
住宅事業を始めたようです。
私が子育てに必死のその頃、
夫は会社作りと地元での活動に必死でした。
毎朝、早く家を出て、帰宅後に再び外出して、
帰宅するのはほとんど日付が変わってから。
お互いに話し合うこともあまりないままに完成した家。
4人目を妊娠したと分かった頃に家づくりを始め、
出産を前に引っ越しというハードスケジュール。
けれども、せっかく建てた家に、
私は不満でいっぱいでした。
夫は、
『希望を聞いたのに何が不満なんだ?』
と怒りました。
が、私にも言い分があります。
考える時間も調べる時間もないまま、
なんとなくいいかなぁと思ったことを口にしただけ。
そもそも長屋暮らしだった私には、
一軒家に住むイメージなど持っておらず、
何も知らない状態だったのです。
希望を聞いたと言われてしまうやるせなさがいっぱいで、
家を建てる最中も建てた後にも夫婦の仲が冷えていくという、
つらーい感じでした。
◆ 方向転換 ◆
当時はまだ社内の体制もあまり整っておらず、
建物を建てることはできるけれども、
『お客様に寄り添う』
という点では、まだまだだったのではないでしょうか。
ましてや身内に対しては、
かなり冷たい対応でした(夫に限ります)。
そんな我が家の家づくりの失敗。
しかしこれが、
『会社の大きな方向転換』
のきっかけにもなったようです。
お客様に寄り添って、
『家づくりをつくる』
というコンセプトを軸に、
『建物を通して家族の笑顔と幸せをつくる』
を合言葉にして新たに進み始めた安井建設。
社内に女性も増え、
次第にお客様からの喜びの声が届くようになり、
働く幸せを感じるようになってきました。
◆ 成長し続けたい ◆
ふりかえれば、
家庭と仕事の両立に迷いながら、
突き進んできた日々でした。
肉体的にも精神的にもギリギリで、
泣きながらご飯を作っていたこともよくありました。
義父の病気によって、
経理の仕事を急遽引き継ぐことになった時、
分からなすぎて毎日家で夜中に仕事をしたり、
勉強したりという日々もありました。
あわただしい毎日の中で、
素早く適当になんとなく作っていた、
適当料理が得意となった私ですが、
結婚当初は家事をほぼしたことがなく、
何もできない人でした。
建築のことも全く興味がなかったのですが、
毎日近くにいれば知っていることが増えてきました。
いくつになっても初めての体験や、
以前よりもできるようになったことを、
成長と感じている日々。
『人は一生成長する』
ということを、
年を重ねたからこそ実感しています。
いいこともイヤなことも、
自分の学びとして楽しんで生きています。
これからもチャレンジできる自分でいたいです。
安井 香織
MESSAGE
全くの素人ながら夫の会社のお手伝いとして働き始めました。
が、日々の業務の中で少しづつ建築の面白さや難しさを実感しています。
専門家ではない目線で、家づくりを興味深くみています。
自分の興味のあることや楽しみを交えつつ、毎日の仕事も笑顔で
楽しい時間を作り出したいと思っています